時は主観の産物だ

過去に対して客観が
成り立つことはないだろう、
過去の記録に客観が
成り立つことはありうるが。
現在だけが冷静な
客観の目に耐えられる。
過去と同じく未来にも
客観性はないだろう、
ただし未来を予測する
ために用いるデータには
客観性がありうるが。
なぜなら過去の情報と
未来予測の情報の
どちらも今にあるからだ。
現在だけが現実だ。
過去と未来は人々の
心の中にあるものだ。
なぜなら過去は目に見えず
未来には手が届かない。
つまり時間は人々の
心の中にあるものだ。
空間だけが現実だ。
時は主観の産物だ。
もしも記憶がなかったら
時が知られることはない。
もしも心がなかったら
過去と未来は消え去って
現在だけが残される。

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