心は永遠だ

心よ、それは生命だ。
心よ、それは精神だ。
心よ、それは魂だ。
心よ、それは霊魂だ。
名はさまざまに呼ばれるが
それらの意味はほぼ同じ、
見る、聞く、触る、嗅ぐなどの
外界にある物事を
感じる主体、中心で
思う、行う、するなどの
外界にない物事を
生み出す主体、中心で
なくなることがないという
性質を持つ存在に
さきの名前がつけられる。
心あるいは精神と
呼べば感受と創造の
主体の意味が強くなり
魂または霊魂と
呼べば不滅で永遠の
命の意味が強くなる。
すぐ死滅する細胞に
生命の名は似合わない。
永遠という時を行く
心が真の生命だ。
感じるという能力と
生み出すという能力と
永遠という性質を
心は全て持っている。
外界にある物事を
目、耳、鼻、舌、肌だけで
受け止めている場合には
心は何も感じない。
外界にある物事が
目、耳、鼻、舌、肌を超え
奥の奥まで達すれば
心はそれを感じ取る。
感動のない生き方を
している人の心には
空でうつろで何もない。
感動のある生き方を
している人の心には
夢が輝き美が光る。
その輝きは感動の
強さ、深さに比例する。
その色彩は感動の
様子によって変化する。
喜びならばだいだいに
悲しみならば群青に
献身ならば純白に
発見ならば白銀に
心は色を変えてゆく。
その感動は外界の
物事をどう受けるかで
心が全て決めている。
この働きを、感受性、
そのようにいう人もいる。
外界にある物事を
どう受けるかの反対は
外界にない物事を
どう作るかということだ。
作るとはある物事と
他の物事を結びつけ
一つにするということだ。
料理にしてもそうだろう。
機械にしてもそうだろう。
文書にしてもそうだろう。
食材、部品、言葉など
多数のものを組み合わせ
一つにすれば作品だ。
ただそのときにでたらめに
組み合わせても作れない。
よい方法で順序よく
組み立てるのが創造だ。
さて創造の材料に
なる物事は外界の
物事なので創造は
外界にある物事を
心のうちで総合し
新たに生むということだ。
しかしこれだと外界に
ある物事を受け入れて
感動という現象を
生むのとあまり変わらない。
外界にある物事を
受ければ何か作れるし
新たな物が生まれれば
その材料があるはずだ。
同じ心の働きに
そうそう違うことはない。
あえて違いを挙げるなら
外から内へ来ることと
内から外へ行くことだ。
循環こそが本質だ。
心は他の存在と
循環し合うものなのだ。
感じることで内に入れ
生み出すことで外に出す。
会話をすればよく分かる。
人の言葉を内に入れ
自分の声を外に出す。
ただしそれには時が要る。
時の止まった世界では
感じることはありえない。
生み出すこともありえない。
循環もまたありえない。
心がちゃんと機能する
ためには時が必要だ。
そして心が完全に
働くために永遠に
生きる命が必要だ。
出たり消えたりするのでは
心はあって無きものだ。
数十年の肉体は
心の影といってよい。
心は永い悠久の
時間の中で生きている。
心に残る思い出は
現実よりも鮮やかだ。
肉体の死はその人の
心を奪うことはない。
むしろ心は翼を得
天を目指して飛んでゆく。
肉体は地に崩れ落ち
心は天に駆け昇る。
心よ、それは永遠だ。

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