自由は幸せの基礎だ

自由とはあの果てしなく広く大きな空に似ている。
鳥たちは空という名の自由を胸に抱いて羽ばたく。
何ものも鳥たちの行く道を遮ることはできない。
なぜならば鳥たちはただ自由に空を飛びたいだけで
その他に何の希望も願いも夢も持ってはいない。
それだから何があろうと鳥たちはただひたすらに飛ぶ、
たとえその行く手を阻む物がいようと気にもかけずに。
鳥たちは強く気高く美しくまた自由に生きる。
鳥たちは地上の宝、名声などに引かれはしない。
そのような物は自分の足に絡まる縄にすぎない。
鳥たちは自由以外の全ての物をやると言われて
そのために自由を捨ててその他の物を得ようとしない。
なぜならば自由以上に貴い物は世にないからだ。
生き物は自由でないと幸せになることはできない。
自由こそ幸せの基礎、土台、前提、中心なのだ。
本能に縛られている動物よりも理性でもって
本能を超えようとする人は多くの自由を持つが
自由には幸せにする作用の他に不幸を招く
働きもあるのでそれはもろ刃の剣といえなくもない。
人間は心をいかに使用するかで幸と不幸が
分かれるがそれは心が自由だということを意味する。
幸せか不幸せかを決めるのはただ己の心、
財産も美女も名誉もそれで心が躍らなければ
がらくたやおもちゃやごみやくずやほこりやちりと同じだ。
そのような物に心がとらわれている状態ならば
もはやその心は空を自由自在に飛ぶことはない。
そこで地をはいつくばって生きるしかない哀れな人よ、
果てしなく広く大きな空を自由に飛ぶ鳥を見よ。
人間は心においてあの鳥よりもはるかに高い
限りなく高貴な空を自由自在に羽ばたけるのだ。
そのような目で鳥たちを見れば彼らはありに似ている。
人間は心の巨人、動物の神、自由の王だ。
暴君か邪神になるか世界を救う巨人になるか
天国へ行くか地獄へ行くかを全て心は決める。
善悪は心が作り天国、地獄、煉獄なども
ことごとく心の映す風景でしかありえないのだ。
善悪の起源はやはり自由にあると断言できる。
いにしえの人の自由は今に比べて限られていた。
現代に近づくにつれ自由は徐々に大きくなって
善悪の差も広がって天国および地獄ができた。
天国は光と善の地獄は闇と悪の世界だ。
まっすぐに進む光を遮ることで影が生まれる。
ある影は悪と呼ばれて悪が集まり地獄ができる。
したがって影は光の性質でなく付随するもの、
悪もまた善なる神の属性でなく付随するもの、
煉獄と地獄は上にある天国の落とした影だ。
その影に巣くう魔物が悪魔や夜叉や餓鬼や阿修羅だ。
善良な霊が自由を得て堕落した者が彼らだ。
ルシフェルも元は天使で堕落してから魔王となった。
恐るべき悪は自由の副作用とも言い換えられる。
自由なき世界は何とあじけなくまたつまらぬものか。
このように神は世界を創った時に思われたので
生き物に自由を与えダイナミックに場を動かした。
善と悪、光と影といった対比の中で世界が
揺れ動き進化してゆくことを偉大な神は望んだ。
自由とは神の属性、だから命も神の属性、
生命は神の一部でどんな物にも神は見られる。
だがそれはあくまで一部、完全でない神のかけらだ。
完全な神と心を通わすことで命は生きる。
悪霊の神のかけらはそれを忘れてもだえ苦しむ。
生命を持つ物全て神のはらから、兄弟、姉妹、
したがって調和するのが神の心に最もかなう。
そのような自由が神の望んだ世界、在り方だろう。
世界とは神の命が光り輝くための舞台だ。
観客は神と天使で天使は時に舞台に上がる。
聖人と呼ばれるような使命を果たす天使もいれば
政治家といわれるような仕事をこなす天使もいるし
芸術の花を咲かせて舞台を飾る天使もいれば
学問の光を当てて舞台を照らす天使もいるし
そのさまは舞台を越えて天使が空をかけるかのよう、
一方の天使は道を高く唱えて世に敬われ
一方の天使は欲にひどくまみれて世に蔑まれ
これは皆自由の成せる業で自由は両極端だ。
善、光、幸せ、天使、神に通じる道を開くが
不幸せ、悪、闇、地獄、鬼に通じる道をも開く。
大空を飛ぶと決めれば落ちる危険も当然あるが
そのために地をさまようかそれでも広い空をかけるか
選ぶのは自由な心、あの大空を駆け抜けるのだ。

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