人は心で知る

心に映るものだけが
人の知りうるものなのだ。
外界にある物は皆
心に映ることでしか
人に知られることはない。
形と色と手応えを
備えていてもその物は
思えなければ知られない。
形と色と手応えを
備えなくてもそのものは
思えるのなら知られうる。
人は互いに肉体が
似ているために見えている
色も似ていて聞いている
音も似ていて触れている
物も似ていて客観が
成り立つように思えるが
その客観は肉体が
作ったものにすぎなくて
心において客観は
成立しないものなのだ。
ただし誠の認識は
心によって行える。
あると心が思ったら
物は確かにあるのだが
ないと心が思ったら
物はたちまち消えうせる。
認識という行動は
心の中のことなので
それらのことは当然だ。
物を知るとか思うとか
考えるとかそういった
人間的な行動は
脳においては不可能だ。
脳はあくまで肉体と
心をつなぐ接点だ。
心と脳は別なのだ。
脳に病気がある子でも
明るく強く健やかな
心を持って生きている
ことからそれは明らかだ。
認識という行動は
心が脳に働いて
初めてできることなのだ。
脳は心に従って
心は脳を映し出す。
心が映すことにより
脳は初めて機能する。
心の映すものだけが
確かなものといえるのだ。

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