人はなぜ生きてゆくのか

人はなぜ生きてゆくのか。
また人に限らず命
ある物はなぜ生きるのか。
生命を持っているから、
いや、それは答えにならぬ。
なぜならばなぜ生命を
持つのかとなぜ生きるかと
いう問いは同じだからだ。
かりにその二つの問いが
異なるとしてもそれなら
生命は何なのだろう。
心臓の脈動なのか。
呼吸器の活動なのか。
細胞の活性なのか。
どれも皆生命でない。
心臓がなぜ動くのか。
呼吸器がなぜ動くのか。
細胞がなぜ生きるのか。
このような新たな問いが
次々と出てくるからだ。
解答が疑問となって
延々と続くのでその
方法を変えるしかない。
人はなぜ生きてゆくのか。
この問いはこうも言えよう。
人生は何であるのか。
イギリスのシェークスピアは
この問いに答えを出した。
人生は演劇である。
俳優は人間であり
劇場は世界でそして
脚本は運命である。
俳優がアドリブをして
脚本を無視するように
人間は運命という
脚本を書き替えられる。
人生は劇といっても
内容は人それぞれだ。
ある人は悲劇を演じ
ある人は喜劇を演じ
ある人の演技は優れ
ある人の演技は劣る。
生まれると幕が上がって
死とともに幕が引かれる。
このような人生観が
劇詩人シェークスピアの
持っていた考え方だ。
人生は何であるのか。
日本の松尾芭蕉も
この問いに答えを出した。
旅こそが人生である。
誕生は旅の始まり、
死すなわち旅の終わりだ。
あちこちで人と出会って
あちこちで人と別れる。
一日も同じ日はない。
毎日が新たな旅だ。
東京で生まれ育って
東京を出ることもなく
年老いて死んだとしても
その者は旅をしていた。
人間は時の旅人、
同じ日の同じ時間も
ある人にとっては金で
ある人にとっては砂で
ある人にとっては早く
ある人にとっては遅い。
人生は時間をいかに
使うかで全てが決まる。
人間は時の旅人、
旅こそが人生なのだ。
人はなぜ生きてゆくのか。
この問いに釈迦は答えた。
人は皆悟りを求め
そのために生きてゆくのだ。
悟りとは知恵の極致だ。
人はなぜ生きてゆくのか。
人生は何であるのか。
このような問いの答えが
悟りには含まれている。
人生が劇なら人は
なぜ劇をやるのだろうか。
人生が旅なら人は
なぜ旅をするのだろうか。
それも皆悟りのためだ。
人はなぜ生きてゆくのか。
この問いの答えを探し
人は皆生きるが正に
それこそが人生なのだ。
さまざまな道を歩んで
自らの悟りを探す。
生きるとはそういうことだ。

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